人間つながりがあれば自然と生まれるのが嫉妬。持つ者と持たない者。自分と他人を比べることで生まれる嫉妬。嫉妬は自分にフォーカスが向いていない時に生まれる反応反射。

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実は嫉妬!?そのネガティブな感情と正直に向き合ってみた

生きていると嫉妬することの1度や2度ありませんか?

むしろ1度や2度で済んでいる人は、相当穏やかな人だと思います。

仕事・恋愛・交友関係・能力・学力・お金・時間など。持たざるものは、常に持つものへの嫉妬は尽きません。

そんな私も嫉妬の念にかられる1人です。

ヒト、人間らしいと言えばそれっぽいですよね。その嫉妬が努力や成長の栄養素となり、成功や幸せへと導いてくれたと言う人もいるでしょう。

でもそんな人ばかりじゃないはず。

そんな尽きない嫉妬という感情と上手に向き合うためにはどうしたらいいのか、そんなことを自分の体験と一緒に考えてみました。

成功への憧れが招く嫉妬

叶うなら、○○だから出来ないと選択肢を諦めることなく、熱中できる何かに没頭し、美味しいものをたべ、愛するパートナーと人生を共に笑顔で過ごす。

具体的なことを言い出すとキリがないので、ざっくり言うとこんな感じ。

でもこんな経験は誰だってあるでしょう?時間がない。お金がない。スキルが無い。学がない。やれば出来るけどやらないだけ。と自分の可能性を見捨てない。自分で自分を見限ったりはしない。最後の最後で自分を信じている、そうやって自分を保っている。

そう言い聞かせている間にも、時は勝手に過ぎる。

時間は待ってくれないし、走るヤツも止まらない。身近な存在の他人が、ある日突然カミナリが打たれたかのような勢いで、勝手に走り出し成功してしまう。そんなヤツがいたら面白くない。でも事実、実在する。

それが私の弟だった。彼に言わせれば成功?いやいや全然。まだその過程にいるよ。とすまし顔で言われそうだ。

私の弟の尊敬すべきところは、執念・継続力・努力。

我慢強く・芯が強い。融通が聞かないという点を除いては、自分よりはるかに優れた能力を持っている。

今だからこそ認めるが、私は4兄弟の長男で弟は1つ下だ。

子供の頃の1こ違いは絶対的だった。年下が自分より優れているわけがない!などという、なぞの優越感(まぼろし)に溺れていた。自分が負けているとは思いたくはなかった。負けていたとしても、別の部分で優れている。だから総合点では絶対に勝っていると思いたかった。

ただそれだけのこと。

自分のものさしでしか人を測ることが出来ない、愚かな少年だったんです。

時は過ぎて大人。そんな尖っていた部分もすっかり体型と一緒に丸くなり、そんな無駄な優越感を感じることがなくなったと思っていた矢先、弟突然の兄抜き去り。

(とっくの昔に抜き去ってはいたのだけれど・・・)

うれしさと悔しさと嫉妬の感情が入り交じった複雑でなかなか整理が出来ないこの気持ち。

本来兄弟の成功は喜ばしいもののはず。実際のところ本当に嬉しい。でも悔しい、羨ましい。

歳こそ違えど同じ人間、互いに尊重しあえる仲でありたい、そう思っている。

でもどうしてか全身全霊この身をもって喜べない。耳を澄ませると心の奥でくすぶる暗い感情が嫉妬だとやはり悟る。

その感情はなぜ芽生えてしまうのか。理想の自分とは程遠い、この醜い感情と素直に向き合ってみたい。

嫉妬は今の自分に満足してないことへの反応反射

今の自分自身、全身全霊幸せすぎて何もいらない。

って人はいますか?

私は残念ながらそこまで到達していません。これが嫉妬を抱いてしまう決定的な理由です。

仕事・収入・時間・能力。あれもこれも欲しいものばかり。今の自分に足りないものは?とあら探し。

自分にはなくて相手にはあるもの。

フォーカス(見つめるべき対象)が自分ではなく相手になってしまっている状態。

若い時には、ナイ理由を歳のせいに出来たかもしれません。でも歳を重ねる度に歳のせいにするのは、ただただかっこわるい。だって自分のやってきたことが間違いだったって言っているようなものだから。

いつかといつかと放置してしまった結果が、今の自分の姿だったりする。だからそんな自分への好意は低下するし、他人の成功や得がとても羨ましく感じてしまう。

もっともっと自分だけを見つめることが出来れば、他人が成功しようが得をしようが素直に喜べるし、それ以上に他に気を回したりしないんだ。

遅くてもアクションしないよりはマシ

何かやろうと思ったとき、すこしやってみたらいいって知ってます?

例えば大掃除って大変だけど、やり始めると気が付いたらお昼になっちゃったとか、日が暮れたとか。そんな経験はないだろうか。

すこし始めると辞められなくなってしまうという性質を利用する。

夏休みの宿題だって後半一気にやろうと思っていても、結局終わらずに先生に怒られてしまったという経験を忘れてしまったのだろうか。

私は忘れてしまったみたいです・・・。

そんな都合の悪い思い出は、とっくに忘れました。結局のところ脳は都合良く出来ていて、自分が傷つかないように防衛本能が働いているんです。

自己防衛本能のままに生きていたら、「自分は可愛い」「自分は能力者」「自分は本当は出来るヤツ」って自分世界にだけ生きる、イタイ奴になっちゃうよ。

そうはいっても、自分の存在証明は他者がしてくれていて、他者がいるから自分を認識できる。

自分と違う誰かがいるから、比較が生まれる。比較の対象がいなければすべてが自分基準だ。他人と比較し劣っていたとしても、自分の持っているものに着目すれば、絶対に輝く何かは持っているはず。

それが見つからないというなら、それだけ自分をまだ分かっていないということでもある。

歳を重ねる度に歳のせいにするのは、ただただかっこわるい。でもそれ以上に、何もしないまま今日まで自分が歩いてきた道を間違いだったとと認めてしまう方がもっとかっこわるい。

間違っていたかもしれないけれど、それが今の自分を作り出す最短だったと笑って言えたら最高にくさい(笑)

未来の自分をつくるのは今、今日、明日の自分。将来笑っているか泣いているかは自分次第だよ。

あと運次第。

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