伝えたい事

母還暦 感謝を込めて

母と子供手をつないだイラスト

実の母が60歳を迎えました。還暦を迎えたことになります。実に60歳というのは子供も成人し、第2の人生といわれる境かと思います。

日本では35歳を超えてからの出産を高齢出産と呼ばれます。35歳を過ぎると様々なリスクが高まることから、1993年に30歳から35歳に変更されたそうです。

母は私を20代後半で出産し、立て続けに次男、少し離れて長女、3男を出産し子宝に恵まれました。40歳前には4人の子供の出産を終えています。そんな母も順風満帆という生活ではなく非常に苦しいものだったと子供ながらに感じていました。

幼少期 母離婚

私が、小学5年生の時に父と別居することになりました。なぜ別居することになったのかは今でもわかりません。私たち4人の子供たちは全員母に引き取られて暮らしていきます。一番下の子はまだ生まれてすぐの出来事で、父との記憶がほとんどないそうです。それもそうですよね、1歳を迎える前に離れてしまったのですから。

最終的には別居期間が長く、離婚に至ったと聞いた記憶がありますが、真相はわかりません。当時の私にはなんで?とは聞けませんでした。もしかしたら子供なりに母がそれを言うことで悲しむ姿を想像したのかもしれません。もしくは明日から父のいない生活がこんなに長く続くなんて思ってませんでしたから、楽観視していたのかもしれません。後者の可能性のほうが強そうです(笑)

そのころ私たち兄弟は母の実家で暮らします。母の兄、母の母と6人暮らしです。生計は母の兄の収入と母の収入、それと祖母の年金でまかなっていたと思います。母の兄は未婚で、私たち兄弟をとても可愛がってくれました。きっと母も正直かなり助かっていたと思います。母の収入がいくらあったかはわかりませんが朝から夜遅くまで働き本当によく働く母でした。

私は小学生5年生で少年野球をやり、6年生の時にはやめてしまった記憶がありますが、何を始めるにしても道具は必要です。野球で言えばグローブ、スパイク、バットその他いろいろありますが、すべて揃えてくれました。さらに小さい時には、そろばん・英会話・水泳と教育にお金をかけてくれました。大人になった今考えるとどこにそんなお金があったのか不思議に思ってしょうがありません。中学になってバスケ部に入りましたが、また道具が必要です。バスケットシューズ、バスケットボール、ちいさな庭にゴールも買い与えてくれました。そのかいあってその後もバスケットを続けました。20代前半くらいまでは結構本気で頑張っていました。

ここまで聞くと、あれもこれも買ってもらってと実は裕福なんじゃないかと思うかもしれませんが、決して裕福な家庭ではございません。しかし私は満たされていました。それは母の努力にほかなりません。子供たちの為にならと本気で思っていたことでしょう。母が自分のものを買った記憶などほとんどありません。この頃はまだまだ精神的にも全然子供ですから、親のありがたみなんていうのはほとんどわかりません。私が強く母の存在を感じたのは高校生の時です。

寮生活 母と離れて生きていく

私は全寮制の高校にいく事になりました。同じ県内でしたが、家からおよそ2時間ほど離れた場所の高校です。その高校は母の勧めでした。その大きな特徴として企業内高等学校という位置づけで毎月一定額か支払われその中より、学費・食費・寮費ともろもろ差し引かれて残った額のお金が私たちの手元にのこりおこずかいになるというものです。給料ではありませんが、給料みたいなものです。当時は入学する為のお金の準備など必要なく、学費など入学するために必要な制服等一切お金がかかりませんでした。※現在は一部負担しているようです。

私と弟は全寮制の高校で3年間という期間を親元を離れてくらしました。そのとき初めて気が付いたのです。身の回りのことを自分でやるわずらわしさ、めんどくささを。元々めんどくさがりな性格というのもありましたが、洗濯が本当に面倒だと感じました。食事は支給されるので自炊というわけではありませんが、生活用品が切れれば自分で買い物に行きます。実家に住んでいた時にはなくなれば予備としておいてあるものを使えるし、洗濯物は脱いで洗濯機に入れて終了です。たたまれた状態で帰ってきます。

その時はごくごく当たり前のこと考えていて、感謝の気持ちなどまったくありませんでした。なんなら部活で忙しい、学校疲れたとか言っていたと思います。親と言えど4人を片親で育て、遅くまで働き、家事をこなす母に浴びせる言葉では到底ありません。しかし若い時というのは全く親の苦労など知らないのです。

身の回りのことを自分で行うことで、母への感謝の気持ちが芽生えました。ただ今になっても面と向かってありがとうなんて、素直に言えない私です。

現在の自分

私も幸いな事に、素敵な妻と出会い子供にも恵まれ2人目の出産を控えています。妻には時々しかありがとうと言えないので、あまり昔と変わっていません。自分の家庭をもち家族を支えるとうことを身をもって今体験しているところです。はたして今の自分が4人育てられるのかと質問されたならば、正直はっきりと大丈夫。問題ないと自信をもって言えません。

先輩母さんからすれば、なんとかなるよ!なのかもしれません。しかし私たちは夫婦は1人でも手こずってます。子育てを経験してすこしわかることは、4人を片親で育てる大変さは私の想像力を超え、とても苦労の絶えない人生だったと思います。

妻の影響もあり、母の日には花を贈ることにしています。べたではありますが、こうゆう気持ちはとても喜んでくれます。まだまだ受けた恩を返すほどの親孝行を出来ていませんがこれから親が亡くなる前に、今までの感謝を必ず返したいと思っています。

最後に

普段なかなか素直に本音を言えない人へ。私もそうです。へそ曲がりマンですが、もし親が亡くなったとき、自分が死んでしまったとき、いつ不幸が起きるかはあなたにも、ほかの誰にもわかりません。明日死ぬとわかっていたなら、今日あなたは何をしますか?何をするのも自分の勝手ですが、私たちがここまで成長してこれたのは、自分以外の人間あってです。友情、愛情、努力、なんだかラッキーマンみたいですが、努力以外は目の前の誰かあってのものです。努力もライバルと競い合うと考えれば、目の前の誰かを想像しています。

明日死ぬなら、誰かにありがとう、と言おう。それが妻でも、子供でも、親でも友達でも親戚でも、近所の人にでも。

死に時がわからないなら、今を大事にしよう。今日できなくても明日ならできるかもしれない。明日できなくても来週できるかもしれない。

あなたの琴線に触れたのなら、あなたが考える人に感謝の気持ちを伝えよう。

その時は、受け手は間違っても「気持ちワル」なんて言ったらだめですからね。

 

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